読まれずとも聞かれずとも発信し続ける力

読まれずとも聞かれずとも発信し続ける力

「どうせ誰も見てない…」情報発信の反応のなさに心が折れそうなあなたへ。読まれなくても、聞かれなくても、発信を続けることで得られる価値とその秘訣を、僕の実体験からお話しします。

目次

「どうせ誰も見てないし…」発信をやめてしまう前に

「毎日ブログを書いているけど、全然読まれない…」
「SNSで発信しても、いいねもコメントもほとんどつかない…」
「ポッドキャストを始めたけど、再生回数が一桁で心が折れそうだ…」

情報発信をしていると、誰しもいちどはこんな壁にぶつかるのではないでしょうか。何を隠そう(?)僕もです。壁にはぶつかりまくっています。

そして、多くの人が、「やっぱりじぶんには向いていないんだ」「誰も僕の話なんて聞きたくないんだ」と、発信そのものをやめてしまいます。目に見える反応が少ないと、続ける気力が萎えてしまうのは、人間として当然のことかもしれません。

でも、僕は「読まれなくても、聞かれなくても、それでも発信し続けること」には、計り知れない力があると信じています。それは単に「いつかバズるかもしれない」という淡い期待感ではありません。もっと深くて、もっと本質的な価値が、そこには宿っているはずなのです。

今回は、なぜそう言えるのか、僕自身の実体験も交えながら、「読まれなくても発信する力」について、僕なりの考えをお話ししたいとおもいます。

もしあなたが、いままさに情報発信の反応のなさに落ち込んでいるとしたら、あるいは、これから何かを発信しようと考えているけれど一歩踏み出せないでいるとしたら、この記事が少しでもお役に立てれば幸いです。このあとは、以下のような流れでお話をします。

  • はじめは「反応ゼロ」が当たり前
  • 発信し続ける行為そのものが信用
  • いつかじぶん自身を支えてくれる

読まれずとも聞かれずとも発信し続ける力

「どうせ誰も見ていないなら、発信する意味なんてないじゃないか」そうおもうかもしれません。しかし、それでも発信を続けることには、短期的な反応の数とは別の、もっと大きくて深い価値があると僕は考えています。具体的に見ていきましょう。

はじめは「反応ゼロ」が当たり前

  • 多くの人が陥る最初のワナ

ブログを書き始めた、YouTubeチャンネルを開設した、ポッドキャスト配信に挑戦してみた… ワクワクしながら、そして少しの不安も抱えながら、最初の一歩を踏み出す。しかし、数日、数週間、あるいは数か月が経過しても、期待していたような反応はまったくと言っていいほどない

「いいね」もつかなければ、励ましのコメントも来ない。再生回数やアクセス数も一向に増える気配がない。すると、最初の意気込みはどこへやら、急速にモチベーションが低下して、「やっぱりじぶんには才能がないんだ」「世の中はじぶんのことなんて求めていないんだ」と深く落ち込み、やがて更新が途絶えてしまう…これは情報発信における、あまりにも「あるある」な挫折パターンです。

  • これが通常運行だと知る

でも、少し冷静に考えてみましょう。どんなに有名なインフルエンサーや人気クリエイター、著名な作家であっても、最初はみんな無名で、読者も視聴者もほとんどいなかったはずです。いきなり多くの人に見てもらえる、聞いてもらえることなど、それこそ宝くじに当たるようなもので、まずありえない。

情報発信の初期段階において、反応がほとんどないというのは、「失敗」なのではなく、ごくごく「通常運行」です。この認識を持つか持たないかで、その後の継続力は大きく変わってくるでしょう。

  • 僕の具体例(YouTubeとポッドキャスト)

僕自身のYouTubeチャンネルについて言えば、先日、ありがたいことにチャンネル登録者数が6,000人に到達したことを、このブログでもご報告しました。でも、最初の1,000人に到達するまでには、なんと414日、つまり1年以上の月日を要しています。

その間は、動画をアップしても再生数は数十回、なんていうこともザラでしたし、コメントもほとんどありませんでした。

また、最近ではポッドキャストも始めてみましたが、まだまだ手探り状態なうえに、今のところ再生回数もごくわずかです。「これから先、聞いてくれる人は増えるのだろうか?」と、正直おもうこともあります。でも、僕にとってはこれは想定内でもあり、最初から多くの人に聞いてもらえるとは考えていません。

  • 伝えたいこと

だからこそ、まず持っておきたいのは、「最初から大きな反応を期待しすぎない」という心構えです。有名人のように、始めた瞬間から注目されるわけではないことを受け入れる。そして、結果を焦らず、淡々と「種まき」を続ける覚悟が重要です。

「あっさりとあきらめたりしない」こと。これが、情報発信を続けるための最初の関門であり、土台になります。

発信し続ける行為そのものが信用

  • 継続が生み出す価値は見えにくい

たとえ、じぶんの発信1つ1つが爆発的に読まれたり、多くの「いいね」やコメントがついたりしなくても、「この人は、このテーマについて長期間、継続的に情報を発信している」という事実は、それ自体が専門性やそのテーマに対する熱意、そして誠実さの証明になるものです。

それは、すぐには目に見えにくいかもしれませんが、「信用」という形でじわじわと、でも確実に蓄積されていきます。

  • 僕の具体例(仕事の受注)

僕は、このブログを毎日更新し続けています。はじめた当初、個々の記事に対する反応は大きくなくても、その「毎日発信している」という行為そのものや、蓄積された情報量がお客さまの目に留まり、「この人はこれだけ毎日発信しているのだから、きっと真剣に取り組んでいる信頼できる人に違いない」と感じていただき、実際にお仕事のご依頼をいただけた、という経験があります(御本人から、そううかがいました)。

特定の記事がバズったからではなく、「毎日続けている」という姿勢そのものが評価されることはあるわけです。

  • 他者の発信を見るときの視点

僕自身も、何か情報を得ようとしたり、誰かに仕事を依頼しようと考えたりするときに、どうかといえば。単発で一時的に注目されている情報や人よりも、ある特定のテーマについて、たとえ地味であっても長期間にわたってコツコツと発信を続けている人の言葉や姿勢に、より強く惹かれますし、敬意と信頼を感じます。あなたにも、そんな経験はありませんか?

  • 伝えたいこと

すぐに目に見える結果(読者数、再生数、直接的な仕事の依頼など)が出なくても、あなたが発信を地道に積み重ねるという行為そのものが、あなたの「見えない資産(=信用や専門家としてのポジション)」を築き上げている、ということを忘れないようにしましょう。

見えないだけに見落としがちであり、じぶんを過小評価しがちな部分です。

ポイント3:何よりも「じぶん自身」を支える力になる

  • 発信の意外な効能

情報発信というと、どうしても読者や視聴者といった「誰かのため」に行うもの、と考えがちです。もちろん、その側面はとても重要ですし、誰かの役に立ちたいという想いは発信の大きなモチベーションにもなります。

でも、それと同時に、あるいはそれ以上に、発信という行為は、発信者自身の思考を整理し、知識を定着させて、さらには精神的な安定をもたらすという、効果もあるものです。むしろ、僕にとっては、そのほうが本質的な価値なのかもしれない、と最近はとくに感じています。

  • 僕の具体例(体調不良時の経験)

実は最近、体調を崩してしまい、心身ともにかなり辛い時期がありました。正直、何もやる気が起きない、座っているのも億劫だと感じるような日もありました。仕事もおもうように進められず、精神的にも落ち込みがちでした。

しかし、そんなときでも、僕が毎日続けているブログやメルマガ、音声配信といった「発信の習慣」だけは、何とか続けようとするじぶんがいました。そして、「きょうも発信をするんだ」という意識が、かろうじて僕自身の正気を保ち、大きな支えになったのです。

  • 発信がもたらす「内なる力」

毎日(あるいは毎週など、定期的に)「これをやる」というタスクがあることで、日々の生活に一定のリズムとハリが生まれます。とくにフリーランスや社長のように、時間の使いかたが自由な立場にある人にとっては、この「じぶんで決めたルーティン」が、生活全体を整えるうえでとても重要です。

とくに精神的に不安定になったり、困難な状況に直面したりしたときには、日常のルーティンとして淡々と続けてきた発信行為が、じぶんを見失わず、正気を保つための「錨(いかり)」のような役割を果たしてくれることがあります。「これだけはきょうも続けよう」という小さな目標が、荒波の中でじぶんを繋ぎ止めてくれるように。

また、発信するためには日々情報をインプットし、じぶんなりに咀嚼し、じぶんの考えを整理して、それを他者に伝わるように言葉にする、という過程が不可欠です。この一連の流れは、じぶん自身の学びを深めて、自己理解を促す絶好の機会にもなります。「何を考えているのかわからない」状態から、「じぶんはこう考えている」と再確認できるのです。

  • 伝えたいこと

誰かの役に立つことを願って発信するのも素晴らしいですが、それ以上にまず、「じぶんのため」に発信する、という意識を持つこと。それが、巡り巡ってじぶん自身を支えて、成長させてくれることもあるはずです。僕は、身を持って経験もしています。

まとめ

「読まれなくても、聞かれなくても、それでも発信する力」について、僕なりの考えをお話ししてきました

  • はじめは「反応ゼロ」が当たり前
  • 発信し続ける行為そのものが信用
  • いつかじぶん自身を支えてくれる

目先のわかりやすい反応や数字(いいねの数、フォロワー数、再生回数など)に一喜一憂して、心が揺れ動くのは人として当然です。でも、それに振り回されすぎず、長期的な視点を持って発信を続けること。その先にはきっと、じぶんが想像している以上の価値が待っているはずです。

発信は、他者への貢献であると同時に、じぶん自身を深く知り、成長させ、そしてときには困難な状況から救い出してくれる、素晴らしい行為だと僕は信じています。

もしあなたが、いままさに情報発信をためらっていたり、あるいは途中で心が折れそうになっていたりするならば、この記事がほんの少しでもあなたの背中を押すことができたら、これほどうれしいことはありません。

大丈夫です。あなたの発信には、必ず意味があります。焦らず、比べず、淡々と。そして、楽しめるときには楽しむことも忘れずに。

この記事を書いた人

1975年生まれ、横浜在住。税理士、発信者、習慣家。2016年に独立以来、きょうまでブログは毎日更新中。近年は、銀行融資支援を得意な仕事にしている。借りれるうちに借りれるだけ借りよ、が口グセ
現在は1日1万歩以上、ひと月150kmほど走る。趣味は、コーヒーとサウナ、読書、散歩、アニメ。スタバでMacがマジカッコいい!と思い続けてる
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