100%理解は目指さない。僕が「きっかけ」と「投資」として本を読む3つの理由

100%理解は目指さない。僕が「きっかけ」と「投資」として本を読む3つの理由

本は100%理解しないとダメ? 僕はそう思いません。「旬」のベストセラーも追いかけません。僕が月20冊以上を「きっかけ」と「投資」として捉え、行動に変えるための読書術と考え方を解説します。

目次

「ちゃんと読めていない」というプレッシャー

「じっくり読む時間が取れないから」と、買ったままの本が積まれていく(積ん読)。

「難しくて理解できない」と、途中で本を閉じてしまう。

「話題のベストセラーを読んでいない」と、どこか焦りを感じる。

読書に対して、僕たちは無意識のうちに「100%理解しなければ」「流行に追いつかなければ」という完璧主義のプレッシャーを感じてしまいがちではないでしょうか。

ですが、僕はそうした「ちゃんと読まなければ」という考え方そのものが、かえって僕たちをインプットから遠ざけているのではないかと考えています。

僕にとって読書とは、100%の本質を理解したり、世間の流行を追いかけたりすることが最大の目的ではありません。僕の読書の目的は、あくまで「きっかけ」を得ることであり、そのための「投資」です。

本記事では、僕がなぜそう考えるのか、その理由についてお話しします。

僕が「完璧な読書」を目指さない3つの理由

僕がおおむね月20冊以上の本を読みながらも、「100%の理解」や「旬のベストセラー」にこだわらないのには、明確な理由があります。それは、インプットの価値を「行動の変化」というモノサシで測っているからです。

1.100%の「理解」より、1ミリの「きっかけ」

僕たちはインプットに対して、「100%の本質理解(すべて)」か「0%(まったく触れない)」かで考えてしまいがちです。「難解な箇所でつまずき、本質が理解できなかったら意味がない」と感じると、途端に行動のハードルが上がってしまいます。

でも、僕が読書に求めるのは、批評家のような深い解釈ではありません。その本から、じぶんの行動や誰かの日常を「1ミリでも動かす」ための『きっかけ』を見つけること。それが最大の目的です。

だからこそ、僕は以下のような「ライトな読み方」もためらいません。

まえがき

あとがき(ここまでで著者の狙いをつかむ)

目次(じぶんが読みたいところを絞る)

読みたい項目の冒頭数行を読む

さらに読みたければ太字中心に斜め読み

さらに理解を要するなら、じっくり精読

一言一句をじっくり精読する箇所はごくわずかです。100%理解するというプレッシャーからじぶんを解放して、日常を動かす「きっかけ」を見つけるために、もっと気軽にインプットを楽しむ。それが僕のスタンスです。

2.「旬」を避け「コモディティ化」を防ぐ

僕は、話題の「ベストセラー」をその「旬」の時期に手に取ることは、なるべく避けています。

いちばんの理由は、その情報価値が「コモディティ化(=日用品化)」してしまうからです。「皆が読んでいるとき、同じようにして同じ情報を手に入れることに価値は低い」と考えています。

みなが一斉に同じ情報をインプットすれば、どうしても発信内容も似通ってしまいます。それでは、その他大勢に埋もれてしまう。僕は短期的にウケる「バズ」ではなく、長期的に価値を持つ「独自性」を担保したいのです。

その代わりに僕が読むのは、「人がいまさら手に取らないような古典」や、「旬」をとうに過ぎた「少し古い本」です。流行り廃りという厳しいフィルターを生き残ってきた言葉には重みがあり、発信の「軸」になります。誰もが読んでいない本から得た知見こそが、「独自性」や「専門性」に繋がると信じています。

3.本代は「消費」ではなく「次に活かす投資」

もしかすると「本は高い(とくに、たくさん買えば)」と感じるかもしれません。しかし、多読派の僕からすると「本代=ほぼタダ」です。なぜなら、読書は「消費」ではなく「投資」だからです。

  • 1冊の本から、仕事や思考に活かせる「きっかけ」が1つでも見つかれば、それだけで元が取れる
  • 読み終わった本も、メルカリなどで売却すれば5〜7割くらいは回収できる

ここで、「読み終わった本をすぐに売るなんて、本好きとしてどうなのか」「著者への冒涜ではないか」と感じる方もいるかもしれません。たしかに、本を「モノ」として愛し、書棚に並べて所有することにも価値があるでしょう。

しかし、僕の考える本への最大の敬意は、その本を棚に飾ることではなく、その本から得た「知恵」や「きっかけ」を、じぶんの行動に移すことです。

本は、読まれて、その内容が実践されてこそ価値を発揮します。僕にとって本を読み終えて売る行為は、単なる「処分」ではありません。その本から得た学び(リターン)を元手に、次の学び(あたらしい本)へと「再投資」するプロセスなのです。

僕から見れば、損をしているのだとすれば「買いすぎ」なのではなく「読まなすぎ(活かしきれていない)」なのです。本はケチるより、読める分だけ(あるいは読める分を少し超えるくらい)どんどん投資したほうが、結果的に大きなリターンを得られると考えています。

まとめ

僕の読書に対する姿勢は、けして「本を軽んじている」わけではありません。むしろ、その作品が持つ「人を動かす力」を心から信じているからこそ、実践的なスタンスを取っています。

僕の読書は、

  1. 100%の理解を目指す「精読」ではなく、1ミリの行動変容を促す「きっかけ」探し
  2. 「旬」の流行を追う「消費」ではなく、独自性を育てるための「仕入れ」
  3. 「出費」ではなく、1つでも活かせば元が取れる「ほぼタダの投資」

もし、あなたが「ちゃんと読まなければ」というプレッシャーで読書から遠ざかっているのなら、少し肩の力を抜いてみませんか。

インプットの価値は「どれだけ深く理解したか」だけでは決まりません。それによって、あなたの日常が少しでも動き出したか?僕は、こちらのモノサシを大切にしています。

この記事を書いた人

1975年生まれ、横浜在住。税理士、発信者、習慣家。2016年に独立以来、きょうまでブログは毎日更新中。近年は、銀行融資支援を得意な仕事にしている。借りれるうちに借りれるだけ借りよ、が口グセ
現在は1日1万歩以上、ひと月150kmほど走る。趣味は、コーヒーとサウナ、読書、散歩、アニメ。スタバでMacがマジカッコいい!と思い続けてる
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