僕は「借りれるだけ借りよ」をあきらめない

僕は「借りれるだけ借りよ」をあきらめない

僕はふだんから「借りれるだけ借りましょう」と言っています。しかし、あまり人気のある考え方ではないようです。そこで、借りれるだけ借りるのがよい根拠についてお話をします。

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借りれるだけ借りよの根拠

会社の銀行融資について、僕はふだんから「借りれるだけ借りましょう」と言っています。言い続けています。しかし、あまり人気のある考え方ではないようです。どちらかといえば人気があるのは、「必要なだけ借りる」や「必要なときに借りれるようになる」といった考え方でしょう。

それでも僕が「借りれるだけ借りましょう」と言っているのは、もちろん人気を求めているわけではありませんし、フレーズがキャッチーだからというわけでもありません。

心底からそう考えているので言い続けている、それだけです。借りれるだけ借りることが、会社のためになる、ひいては会社に関わるすべての人(社長や社員その家族、お客さま、取引先など)のためになると考えています。これはけして僕の思い込みではなく、実際に体現されている会社をいくつも見てきました。

銀行融資を活用することで年商(数十億円)ほどの預金を持ち、悠々と成長を続ける会社もあれば、銀行融資を活用するようになってから10期連続の黒字を続けている会社など。

端的にいえば、資金繰りがよりラクになり、社長が経営に集中できる。資金繰りの不安がやわらいだ社長のパフォーマンスは、資金繰りの不安を抱える社長とは段違いです。社長自身がそうおっしゃっています。

とはいえ、それは「事象」に過ぎないではないか?と、おもわれるかもしれません。僕からすれば事象も立派な説得材料だとは思いつつも、本記事ではさらに「理屈」についてもお伝えします。次のとおりです。

  • 借りなさすぎが問題になる
  • 借りなさすぎが散見される
  • 少数派がかき消されぬよう

これらは、なぜ借りれるだけ借りるのがよいのかの根拠でもあります。難しいとはおもいつつも、「借りれるだけ借りましょう」を疑っている・嫌っている方にほど、いちどはご確認をいただきたい内容です。

それでもなお借りないほうがいいというのであれば、そこは考え方の違いでしかありません。それぞれの考え方は、互いに尊重されてしかるべきです。僕自身は否定もしないし、否定をされたくもありません。

そのような前提のもとに、お話を進めていくことにします。僕はまだ、「借りれるだけ借りよ」と伝えることをあきらめてはいないのです。

借りなさすぎが問題になる

「借りすぎる」のは問題だとよくいわれますが、僕は「借りなさすぎる」ほうが問題だと考えています。実際、「借りすぎる」という状況はありません。借りたときには、借入と同額のおカネを受け取っているのであり、いつでも完済できる状況にあるからです。

なので、借入後に返済できなくなるのだとすれば、それは借入が原因なのではなく、別の原因(業績悪化やムダ使いなど)だといえます。つまり、借りようが借りまいがおカネは失くなる命運にあったということです。原因をすりかえてはいけません。

借入=借金。借金と聞けば、よいイメージがないのはわかります。が、イメージと現実は別モノです。この点、「借りたいときに借りられるようになる」という考え方には、よいイメージがあるでしょう。僕もそう感じます。ですがやはり、現実は異なります。

まず、借りたいときほど借りられないことがほとんどです。借りたいときとは、おカネに困っているときであり、困っているような危ない会社に銀行はおカネを貸したいとは考えません。

また、借りたいときに確実に借りられるようになることはありえない、といってよいでしょう。おカネを貸すか貸さないかを決めるのは銀行だからです。相手のある物事について絶対がないのは、銀行融資に限りません。「借りたいときに借りられるようになる」のは理想ですが、まさに理想にほかならないのです。理想と現実のギャップに気づきましょう。

このあたりの関連で、以下の過去記事も参考として挙げておきます。

借りなさすぎとは、借りれるときに借りずにいる状態をいいます。借りれるときの典型例は、利益が出ているとき・おカネがあるときです。「必要のないおカネは借りない」との気持ちもわかりますが、いまは必要なくても将来必要になる「かも」しれないのであれば、借りれるときに借りておくのはどうでしょうか?

借りなさすぎが散見される

さきほど、イメージのお話をしました。「借りたいときに借りられるようになる」という考え方には、よいイメージがある。いっぽうで、「借りれるだけ借りましょう」という考え方は、比較をするとあまりよいイメージとはいえません。下品だとさえいえるものです。

なぜ下品なのかといえば、「借りれるだけ借りて散財する」とか、「借金に対する恐れがない」といった印象をともなうからでしょう。だとすれば、借りないほうが美しい。だから、「必要なだけ借りる」や「必要なときに借りれるようになる」という考え方には人気もあるのです。

しかし、散財の原因が借入ではないことは前述しました。また、借入に対する恐れは正しいものであってこそです。借入に対する誤った認識であれば、そもそもの誤りを正すのが先でしょう。誤った認識とは、再三繰り返しているとおり「散財の原因は借入」もありますが、「借入は利益で返済しなければならない」というのもあります。

ですが、借入を返済するのに必ずしも利益を要しません。借りたおカネを使わずにいる限りは、借りたおカネで返済すればよく、利益がなくても返済できるからです。

これを聞いて、「だったら借りる必要があるのか?」とおもわれるかもしれません。でも、あります。なぜなら、多くの中小企業は預金が過小であり、いざというときに備えて余分におカネを持つことが持続・成長のカギになるからです。コロナ禍には銀行にたくさんの会社が殺到し、文字どおり行列ができたことはその証左だといえます。借りなさすぎる会社が少なくないのです。

事業は山あり谷あり。谷がいつおとずれるかはわかりません。そうおもうのであれば、借りれるときに借りれるだけ借りることも考えてみましょう。

このあたりの関連で、以下の過去記事も参考として挙げておきます。

上記の記事でもふれていますが、いわゆる「雑い言葉」はあるものです。借りれるだけ借りよのほかにも、「借りたら返すな」や「融資を引っぱる」など。イメージや印象としてはよくありませんが、大切なのはその「本質」であり、考え方にあります。食わず嫌いに注意です。

少数派がかき消されぬよう

借りれるだけ借りよはイメージがよくないこともあり、どちらかといえば少数派でしょう。ですが、僕は心底からそう考えていることは冒頭にも述べたとおりであり、少数派が多数派にかき消されぬようにと、あきらめずに同じことを言い続けています。

そんな僕は元銀行員でもなく、さらにいえば「わりと最近(7〜8年くらい前)」になって銀行融資に携わるようになった身でもあります。だとしたら、「そんな人間の言うことはアテになるのか?」とおもわれることもあるでしょう。また、僕に限らず、税理士自体が銀行員や元銀行員から嫌われるという状況も見聞きをするところです。

それでも日々の発信をあきらめず、商業出版のお声がけをいただき、書籍を執筆する機会をいただくこともできました。なので、少しはアテになるものとおもっていただきたいというのは余談です。

それはさておき、少数派であってもなお、嫌われたとしてもなお「借りれるときに借りれるだけ借りましょう」と言い続ける理由があります。それは、「そのほうが難易度が下がるから」です。

借りれるときの典型例は、利益が出ているとき・おカネがあるときだと言いました。ひとことで言えば、会社の調子がよいときであり、そういうときは銀行も融資をしやすくなります。返済してもらえる可能性が高いからです。

逆に、おカネに困っているときなど借りたいときに借りようとすると、銀行は融資を避けますから難易度は上がります。どうせあとになって借りるなら、難易度が低いうちに借りておけばよいのに…というハナシです。

銀行融資については、難易度が上がってから必要になる考え方やテクニックもありますが、借りれるときに借りておけばそれらは必要ありません。みずから難易度を上げると、しなくてもよい苦労、かけなくてもよい時間をかけることになりかねないので気をつけましょう。

このあたりの関連で、以下の過去記事も参考として挙げておきます。

まとめ

僕はふだんから「借りれるだけ借りましょう」と言っています。しかし、あまり人気のある考え方ではないようです。そこで、借りれるだけ借りるのがよい根拠についてお話をしました。

  • 借りなさすぎが問題になる
  • 借りないほうが美しいから
  • 少数派がかき消されぬよう

逆に、借りれるときに借りずにいると、借りたいときには借りられずにピンチにおちいる可能性があります。実際にそのような会社も目にしてきました。だから僕はまだ、「借りれるだけ借りよ」と伝えることをあきらめてはいないのです。

この記事を書いた人

1975年生まれ、横浜在住。税理士、発信者、習慣家。2016年に独立以来、きょうまでブログは毎日更新中。近年は、銀行融資支援を得意な仕事にしている。借りれるうちに借りれるだけ借りよ、が口グセ
現在は1日1万歩以上、ひと月150kmほど走る。趣味は、コーヒーとサウナ、読書、散歩、アニメ。スタバでMacがマジカッコいい!と思い続けてる
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