生きていくうえでのひとつの姿勢として、「答えを見つけた気になってはいけない」ということを考えています。じぶんが導きだした答えを過信するのが人間ですから気をつけましょう。
苦労してたどり着いた答えほど過信
生きていくうえでのひとつの姿勢として、「答えを見つけた気になってはいけない」ということを考えています。仕事においてもプライベートにおいても、何かしら導きだした答えを過信しないということです。
それでも過信するのが人間であり、苦労してたどり着いた答えほど過信もしやすいでしょう。だからこそ、答えを見つけた気になってはいけないと戒める必要があるのだとおもっています。ではなぜ、せっかく見つけた答えも過信だといえるのか?
そこには3つの根拠があります。次のとおりです。
- 単純に間違っている
- 世界はグラデーション
- 自己矛盾に気づいてない
これらは、じぶんの答えを見つめ直す視点としても役立つものです。このあと、順番に深堀りしていきます。
見つけた答えも過信だといえる根拠
答えを見つけた気になってはいけない。そこで、見つけた答えも過信だといえる根拠を挙げていきます。これに沿って、いまじぶんが手にしている答えを確認してみましょう。答えをより深めるきっかけになるはずです。目的は、じぶんの答えを否定することではなく、より深めることにあります。
単純に間違っている
見つけた答えも過信だといえる根拠、1つめは「単純に間違っている」です。
文字どおり、じぶんの答えが間違っていることがあります。原因はさまざまですが、間違えることはあるものです。実際に、「いままでいちども間違えたことがない」という人はいないでしょう。にもかかわらず、「この答えは間違いない!」と思い込んでしまうのも人です。
もちろん、自信を持つのは悪いことではありません。なので、自信を持つなという話をしているのではなく、視点の話をしています。その視点とはつまり、「間違っているかも」という仮説を持ち続けることです。
とはいえ、じぶんで間違いに気づくのもカンタンではありません。人間は、他人の間違いには気づくのにじぶんの間違いには気づかない傾向があります(自己正当化バイアスとか)。なので、他人視点を持ちましょう、客観的に見てみましょう、などといわれるところです。
が、それができれば苦労はしません。そこでおすすめは、ChatGPTなどの生成AIです。じぶんの答えについて、「足りない視点や矛盾がないか」を尋ねてみましょう。「必ず」何かしらの指摘をしてもらえます。それらを見て、ふたたび答えを検討するのです。
足りない視点を補い、矛盾を解消することができれば、答えはよりたしかなものに近づきます。すると、他人に対する説得力も増すでしょう。
世界はグラデーション
見つけた答えも過信だといえる根拠、2つめは「世界はグラデーション」です。
じぶんの答えが、単純に間違っているかもしれないという話をしました。いっぽうで、正解・不正解ではなく、意見の違いだという見方もあります。ところが、じぶんの答えを過信すると、意見の違いを見逃したり、意見の違いを無視したりするのは問題です。
意見の違いを受け入れてこそ、違う意見を理解してこそ、じぶんの答えをより深めることができるのはわかるでしょう。違う意見があってこそ、じぶんの意見がより際立つということだってあるものです。よって、意見の違いを知っていることにはメリットがあります。
実際に、意見はさまざまです。Aという意見があれば、それとは真反対のBという意見もあるでしょう。しかも、それだけではありません。多くの場合、AとBのあいだにはさらに多くの意見が存在します。A寄りのA’という意見、それよりは少しB寄りのA’’、もう少しB寄りのA’’’とか…
つまり、世界はグラデーションでできています。じぶんの答えなど、グラデーションのうちの1つに過ぎない。そう考えると、じぶんの答えも過信はできないとの気づきになります。そのうえで、じぶんの答えが、グラデーションのどこに位置するかを知ることは有意義です。
じぶんが発信をしたり、じぶんの意見を表明したりするときには、どの層(誰)に、どのような伝え方をすると伝わりそうかを検討しやすくなります。ところが、じぶんの答えを過信していると、ヘタな鉄砲撃ちになる可能性が高まるものです。
自己矛盾に気づいてない
見つけた答えも過信だといえる根拠、3つめは「自己矛盾に気づいていない」です。
自己矛盾とは、じぶんが言っていることが、じぶんでじぶんを否定している状態をいいます。抽象的でわかりにくいので例を挙げてみましょう。
たとえば、「わたしは絶対にウソをつきます」という場合。このあとウソを言うのであれば、「絶対にウソをつく」と言っているのに、その発言が本当になるのでウソにならない…矛盾です。
では、「ルールは破るためにある」というのはどうでしょう?これを受けて、実際にあるルールを破ったとします。すると「ルールは破るためにある」というルールを破らずに従っていることになる…やっぱり矛盾です。
ダメ押しでもうひとつ。「他人を否定するな」という意見。その主張もまた、「他人を否定する他人」を否定している点で矛盾が生じています。ダメじゃん。
と言っている僕もまた、『「他人を否定する他人」を否定する他人』を否定している点で矛盾しています。というように、世の中は自己矛盾に満ちているのです。その矛盾に、自身が気づいているのか・いないのかは大きな差だといってよいでしょう。
矛盾に気づかぬままじぶんの意見を過信する、じぶんの意見を吹聴してまわるようでは、まるで裸の王様です。他人からの心象にも影響します。自己矛盾を攻められて撃沈…ということがないように、自己矛盾に目を向けるクセをつけられるとよいでしょう。自己矛盾に気づくにもトレーニングが必要です。
まとめ
生きていくうえでのひとつの姿勢として、「答えを見つけた気になってはいけない」ということを考えています。じぶんが導きだした答えを過信するのが人間ですから気をつけましょう。
そこで、せっかく見つけた答えも過信だといえる根拠を挙げました。
- 単純に間違っている
- 世界はグラデーション
- 自己矛盾に気づいてない
これらは、じぶんの答えを見つめ直す視点としても役立つものです。さっそく、いまじぶんが手にしている答えを確認してみるのはいかがでしょうか。答えをより深めるきっかけになるはずです。