1日1試は「選択・努力・戦略」の区分が大切

1日1試は「選択・努力・戦略」の区分が大切

僕のマイルールのひとつに、「1日1試(いちにちいっし)」があります。毎日1つ何かを試し、「選択・努力・戦略」のいずれかに区分して記録する。その大切さについてのお話です。

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1日1試は「選択・努力・戦略」の区分が大切

僕のマイルールのひとつに、「1日1試(いちにちいっし)」があります。毎日1つ、何かを試すことです。ここでいう「試す」とは、これまでに経験のない何かに挑戦することを指します。

ちなみに、これをはじめた当初は1日1つでしたが、いまは1日3つが目標であり、そういう意味では「1日3試」です。それはさておき、1日1試については記録に残しています。このとき、何を試したのかとあわせて記録しているのが、「区分」です。

僕のなかでは、「試す」にも種類があって、それを把握するために区分しています。具体的には、「選択・努力・戦略」の3つです。したがって、1日3試の内容とともに、「選択・努力・戦略」のいずれかを併記しています。参考までに例を挙げると…

たとえば、「走る(ランニングやジョギング)」ということが「試す」の内容であれば、「いつもと違うコースを走った」のは、「選択」にあたります。いっぽうで、「いままで走ったことがない距離を走った」のは、「努力」です。また、そもそも「健康のために走るのを習慣にしようと決めた」のは、「戦略」にあたります。

以上をふまえて、なぜ1日1試が大切なのか、なぜ「選択・努力・戦略」の区分が必要なのか、ひいては、「選択・努力・戦略」それぞれを試すことが大切なのか、このあとお話をします。

区分して記録するのは、バランスが大切だから

1日1試は僕のマイルールであり、「選択・努力・戦略」の3つに区分して記録をしていると前述しました。それは、日々試す(=挑戦)が大切なのであり、それも「選択・努力・戦略」のバランスが大切だと考えるからです。

この点、3つの区分「選択・努力・戦略」について、それぞれ説明を加えます。

選択

例として、「いつもと違うコースを走った」を挙げました。

誰もが日々、さまざまな選択肢を手にしています。ところが、それになかなか気づけません。いつもと同じコースを走り続けている、というのはその典型でしょう。走るにしても歩くにしても、いつもと違う道をゆけば、あたらしい発見や刺激があるものです。

その発見や刺激が、人生の張りになったり、ものごとのヒントやきっかけになると僕は考えています。繰り返しですが、誰もが日々、さまざまな選択肢を手にしている。でも、それに気づけていないところにもったいなさがあります。いつも、「ほかの選択肢は?」と自問するクセをつけましょう。

ヒトは遺伝子的に「現状維持」を好むものでもあります(大昔は、挑戦が命を落とすことにつながる可能性が高かったから)。そのうえで、「なじみのカフェばかりに行く、なじみのメニューばかり注文する」といった傾向がある人(僕もそう…)などはとくに、気をつけたほうがよいでしょう。せっかくの選択肢を捨てています。

とにもかくにも、「選択」には特別な能力を要しません。選ぶか選ばないか、それだけです。だから、誰にでもできる「試す」が「選択」です。1日1試をマイルールとして、選択の機会を増やしていきましょう。同じ毎日も、違った意味を持ち始めるようになるはずです。

努力

例として、「いままで走ったことがない距離を走った」を挙げました。

前述の「選択」は、選ぶ「だけ」だったのに対して、「努力」には能力や労力を要します。いままで走ったことがある距離が10kmだとして、20kmを走るのだとしたらどうでしょう?

20kmを走るというのもまた「選択」ではありますが、選べば走れるというものでもなく、20kmを走るだけの能力や労力が要ることはわかるはずです。そこには努力がともないます。というように、努力がともなう選択を、僕は「努力」として区分しています。

そのうえで、努力を記録することが大切なのです。積み上がった努力の記録を眺めたときに、ヒトはどういった気分になるかというと、「自己肯定感」が高まります。やればできるという思いであり、その自己肯定感こそが次の「試す」の原動力にもなるのです。

よく「目に見えない努力」などといいますが、だったら見えるようにしましょう。記録に残せば、目に見える努力に変えられます。

ところで、試すにも「選択・努力・戦略」のバランスが大切だといいました。1日1試を記録していった際、区分が「選択」ばかりであれば、「努力が足りない」のサインです。選択ばかりで、やった気にならないために、選択か努力かの区分が役立ちます。

戦略

例として、「健康のために走るのを習慣にしようと決めた」を挙げました。

戦略とはつまり、長期的な視点を含む挑戦です。選択や努力に先立つもの、ともいえるでしょう。場当たり的にでも「試す」を増やすのは、試さないよりはよいものの、計画的・目標的な「試す」もあったほうがよさそうだということはわかるはずです。

なお、戦略を「記録しておく」ことには、さらなる利点があります。それは、じぶんの「勘違い」をたしかめる材料になるということです。

たとえば、「ダイエットのために食事管理をしようと決めた」とします。これは、1日1試の区分でいえば「戦略」です。ところが、気がつけば好き放題食べていて、食事管理などしていない…このときヒトは、「決めた」のを忘れてしまうことがあります。ですが、記録があれば言い逃れはできず、見て見ぬふりはしづらくなるものです。

また、結果として「(成り行きで)痩せました」という事実が生じたときにも、「もともとダイエットしようと決めていた(だから、うまく痩せられた)」などと、後づけしてしまうクセがヒトにはあります。ところが記録があれば、都合のよい解釈(後づけ)に気づくこともできるでしょう。

というように、じぶんの計画性を勘違いしないためにも、戦略を記録に残すことは役立ちます。

まとめ

僕のマイルールのひとつに、「1日1試(いちにちいっし)」があります。毎日1つ何かを試し、「選択・努力・戦略」のいずれかに区分して記録する。その大切さについてお話ししました。

ヒトはもともと挑戦が苦手なものであり、挑戦をうながすしくみとして、1日1試のようなマイルールは役立つでしょう。挑戦を避ければ、停滞やマンネリが待っています。それがイヤなのであれば、1日1試はおすすめです。

この記事を書いた人

1975年生まれ、横浜在住。税理士、発信者、習慣家。2016年に独立以来、きょうまでブログは毎日更新中。近年は、銀行融資支援を得意な仕事にしている。借りれるうちに借りれるだけ借りよ、が口グセ
現在は1日1万歩以上、ひと月150kmほど走る。趣味は、コーヒーとサウナ、読書、散歩、アニメ。スタバでMacがマジカッコいい!と思い続けてる
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