発信は量か質か。そんな議論もありますが。僕は「量だ」と答えます。これまで何度もしてきた話ではあるものの、ことしの発信も振り返りつつ、あらためて「質より量」の理由をお伝えします。
何度も言うよ、残さず言うよ
このブログが、僕の発信人生のはじまりだとすれば、かれこれ8年8か月ほど発信を続けていることになります。気づけば、なかなかの長さとなりました。なので、発信に関しては一家言ある僕です。それが「質より量」であり、この話は何度もしています。
ここでいう量とは「頻度」です。つまり、どれだけの頻度で発信をするか。ブログであれば、毎日書くのか、1週間に何回書くのか、みたいな。この点、僕は毎日書きますが、量より質だという逆の意見もあるわけで。だとすれば、頻度は二の次三の次だということになります。
きょうは2024年12月22日。「ことしもあと10日」ということで1年を振り返れば、ことしこそ僕には「質より量」の1年でした。そこであらためて、「質より量」について話をしてみようとおもいます。あきらかな発信量マウントであり、完全なるポジショントークです。
とはいえ、ことしは「単著初出版→重版2回が決定」「単著2冊めの発売決定」と、目に見える発信の成果があったのも事実、マウントやポジショントークも説得力が皆無ではないでしょう。ではなぜ、発信は「質より量」なのか?
発信は質より量だという理由
再三の繰り返しになりますが、発信は「質より量」です。僕がそう考える理由は3つあります。これまでの8年8か月の実体験に裏打ちされたものであり、けして机上の空論ではありません。
量が習慣化の力になるから
発信は質より量だという理由、1つめは「量が習慣化の力になるから」です。言い換えると、量だの質だのいう前に発信自体をやめてしまう人がいますよね、ってハナシです。そうなれば元も子もありませんし、量か質か以前の問題です。
これは僕にとっても他人事ではなく、物事を習慣化するのはカンタンではありません。これまでだって、あたらしく習慣にしようとおもってもやめてしまったことは数知れず。そのなかで見つけた、習慣化の可能性を高める方法が「毎日やる」ことでした。
つまり、量(頻度)を「毎日」に設定するということであり、すると「きょうはやめておこう」の選択肢がなくなります。きょうやるか・やらないかで迷うことがなくなるのです。ヒトは弱いものですから迷ったら、ラクなほうを選びがちです。きょうやってもやらなくてもいいのであれば、やらないほうを選んでしまうものなのです。だったら、それを選べないようにしてしまえばいい。
ことしは7月から、メルマガと音声コンテンツともに毎日配信をはじめています。とくに音声コンテンツは初めてだったので、「毎日で大丈夫か?」と一瞬の躊躇はありましたが、過去の経験(ブログは毎日更新)を信じることにしました。結果、無事に毎日配信が続いています。
カンタンにいえば、習慣化とは「慣れ」であり、頻度は高いほうが「早く慣れることができる点」ではラクなのです。量だの質だの語る以前にやめてしまうことがないように、習慣化の視点も忘れないようにしましょう。
量がなければ質もないから
発信は質より量だという理由、2つめは「量がなければ質もないから」です。言い換えると、練習もしないで上手くなれますか?あなたは天才ですか?ってハナシです。量より質だと聞くと、僕などは「あぁ天才なんだ、スゴいなぁ」と感心してしまいます。別に皮肉ではなく素直に。
で、僕などは天才ではないので、練習あるのみです。練習していて(=ブログを毎日更新していて)そのていどか?と、おもわれるかもしれませんが。それでも、ブログをはじめた当初から見れば、それなりに成長はしています。名誉のために申し添えれば、「わかりやすい文章ですね」と言っていただけることだってあるのです。えっへん。
調子に乗って、足元をすくわれるタイプなので気をつけます。なにはともあれ練習です。練習とは量をとることであり、練習の積み重ねによって質が上がるものと考えます。一流のバッターでさえ素振りという練習を欠かさないのに、なぜ一流ではない僕が練習を欠かせるというのか。量がなければ質もない。僕はいつも、そのようにじぶんに言い聞かせています。
質を求めるあまり、発信量が減ってしまうケースはあるものです。ブログであれば「もっとうまく書けてから投稿しよう」とか、「もっとうまくできるまで書き直しをしよう」とか。結果として、いつまでたっても投稿できない、あるいは投稿頻度が減ってしまうようなケースです。
もちろん、「もっとうまく」という質も大事に違いありません。でもキリがないのです。そもそも質がともなっていないうちから質を求めるにも限度があります。だから、質が不足しているように見えても投稿することに重きを置く。それは妥協ではなく、決断です。
量が次の量を生み出すから
発信は質より量だという理由、3つめは「量が次の量を生み出すから」です。量を求めることが次の量に繋がり、その量が質に繋がる。僕はそう考えています。
これまでも少しずつ、発信量を増やしてきました。はじめはブログだけでしたが、その後にメルマガをはじめて、YouTubeをはじめて、ことしは音声コンテンツの配信もはじめて、というように。いっぽうで、発信以外の仕事量が「格段に減ったのか」といえばそうでもありません。
発信にかける時間はあまり増やすことなく、発信の量を増やすことができています。同じ時間で量を増やすことができるのは、「生産性が上がった」ということです。生産性の点で質が上がったともいえます。事実、ブログなどは当初の数倍のスピードで書けるようになりました。
また、工夫によって量を増やすことも可能です。前述した音声コンテンツの配信は、毎朝散歩をしながら収録をしています。散歩自体はもともとの習慣であり、だとすれば、音声コンテンツの配信をするにも、あらたに時間を確保する必要はありません。ながら発信も可能なのです。
そう考えると、まだ発信量は増やせるだろうと考えています。そんなに量が必要か?といわれれば、そこは考え方によるでしょう。僕は、質を上げるためにも量を増やしているし、じぶんの強みのひとつとして発信量とも考えているところです。
まとめ
発信は「質より量」を主張する僕が、その理由についてお話をしてみました。これまでの8年8か月の実体験に裏打ちされたものであり、けして机上の空論ではありません。
- 量が習慣化の力になるから
- 量がなければ質もないから
- 量が次の量を生み出すから
これらが、あなたにとっての量や質をあらためて考えるきっかけにしていただけるようであれば幸いです。