独立後は自由が増えるといわれますが、その自由は黙って得られるものではありません。そんな自由の正体について、実体験もふまえてお話をしていきます。
独立後に増える自由の正体
僕は、2016年4月に独立をしました。
独立後は自由が増えるといわれますが、その自由は黙って得られるものではないと感じています。つまり、独立したからといって必ずしも自由になれるわけではないということです。
言い換えると、独立後に自由が増えるには、3つの条件が必要だと考えています。それらをクリアできずして、十分な自由は得られない。具体的には次のとおりです。
- 健康である
- お金がある
- 時間がある
一見すると、「そりゃそうだよね」とおもわれるかもしれませんが。僕は、独立から時間がたつほどに、これら3条件の重みをひしひしと感じているところです。そのあたり、「実体験」もふまえて、このあとお話をしてみます。言うなれば、独立後に増える自由の正体についてを。
独立後の自由に必要な条件
独立後に自由が増えるには、3つの条件が必要だと言いました。この点、以下に挙げた条件は「並列・同等」の関係にあるのではなく、重要な順に「直列」の関係にあるものと考えています。つまり、「健康→お金→時間」の順に重要だということです。
健康である
独立後の自由に必要な条件、1つめは「健康である」です。
言うまでもありませんが、ひとたび健康を損なえば自由も満喫できません。そんなことはわかっている、とおもわれるでしょう。僕もまた、そうおもっていました。だから、健康であるための努力もしてきたつもりです。でも、まさに「つもり」でした。
実をいえば、最近になって大きく体調を崩してしまったのですね。いまなお回復はできていませんが、そのハナシはさておくとして。これまでの人生49年のなかで、もっとも健康を損なったと言ってよいでしょう。そして、健康の大切さを心の奥底から理解しました。
よく言われることではありますが、「失ってはじめて気づく」ことがあるのです。いまの僕は、以前の僕に伝えたい。「オマエがおもっている健康の大切さなど、うわべだけだぞ」と。
健康を損なうと、文字どおり心身のエネルギーが減退します。「気合いでがんばる」などとも言いますが、それは元気だからできることだと痛感しました。カラダに不調があれば、ココロも不調になるものです。ココロが不調になれば、カラダにも影響します。最凶な負のループです。
こうなると、どれだけたくさんの「お金」があろうと(実際にはたくさんありませんが)、どれだけたくさんの「時間」があろうと、自由を満喫するなど容易ではない…これは、僕が最近になって得た教訓です。アタマではなく、カラダとココロで理解した教訓です。
ツラくはありますが、「良かった」ともおもっています。本当の意味で、健康の大切さを理解できたからです。だから僕はこれからあらためて、健康について考え、健康に取り組みます。このあたりもいずれ、別なカタチでお伝えしていきたい考えです。
お金がある
独立後の自由に必要な条件、2つめは「お金がある」です。
生きていくのにお金は欠かせません。生活に困るほどお金がなければ、自由でいられなくなるのはあきらかです。よって、独立後は生活に困らないように「稼ぐ」ことが必要になります。ここでポイントになるのが、「どれだけ稼ぐか」です。
そもそも、生活に困らないとはどのていどなのか。ひと月に10万円で暮らせる人もいれば、50万円でも足りない人だっているでしょうから、人それぞれです。なので、まずは「どれだけ稼ぐか」について、どれだけ稼げば生活に困らないかの視点で考えることになります。
いっぽうで稼ぐことを優先するあまり、つまり、たくさんのお金を求めるあまり、仕事ばかりになってしまえば自由はなくなります。プライベートがなくなるという点で不自由です。ただし、このあたりは人生観にもよるでしょう。仕事こそが人生だ、という人もいるのですから。
僕自身はどうかといえば、仕事ばかりの状況は好みません。独立すると、どこまでが仕事でどこからがプライベートなのかわからなくなることもあるのですが(このブログとか)、それはそれとして、仕事とプライベートのバランスは大事にしたいクチです。
なので、「売上をドンドン増やしたい!」とか「目指せ!売上ウン千万円」みたいな考えはありません。その代わりに、「じぶん(や家族)の選択肢を狭めないくらいには稼げれば充分」との考えです。自由であるとは、採れる選択肢の多さでもありますので。
ではいま現在、自由に選択できるほどの稼ぎがあるかといえば、正直そこまでではありません。自由も限りがないものであり、無限に選択できるほど稼ぐなど僕にはムリです。よって、「選択肢をできるだけ狭めないくらいには」として、現実との折り合いをつけていることになります。
時間がある
独立後の自由に必要な条件、3つめは「時間がある」です。
自由といえば「時間」に対するイメージが強いものでしょう。独立すれば、会社に拘束されることはありません。だから、時間を自由に使えるようになるぞとおもうでしょう。僕もそうおもっていました。でも、それほど甘いハナシではありません。
端的に言えば、時間管理ができなければ、時間に追われる・時間に縛られることになるからです。わかりやすい例を挙げるなら、1日中仕事をしなければいけないくらいの仕事を引き受けてしまったら…当然、自由はありません。そんなことになるのだとしたら、それは時間管理の問題です。
だから僕は、仕事に充てる時間をコントロールしています。基本、15時〜15時半には仕事がおわるように、仕事のボリュームを調整しているということです。もちろん、同じ時間であっても、生産性が変われば仕事量も変わりますから、生産性を上げる努力も必要になります。
いっぽうで、時間がありさえすればよいかといえば、そうとも言えず。たとえば、じぶんが意図せずダラダラと過ごしてしまうのではどうでしょう?それを自由とは呼び難い、というのが僕の感覚です。ダラダラしたあとに待っているのは後悔であり、幸福ではないからです。
ゆえに、ダラダラしにくいような環境やしくみをつくることも大切であり、これもまた時間管理の一環だと考えています。時間がなくても自由は得られないし、変に時間があっても(ダラダラするような)自由は得られないものなのです。
なお、あまりにお金が稼げないとなると、仕事をする時間を増やさねばならないこともあるでしょう。すると、否応なしに時間はなくなりますから、お金か時間かでいえば、まずはお金が優先です。
まとめ
独立すれば自由が増える。それはたしかに事実です。でもその自由は、勝手にやってくるものではありません。健康があってこそ、お金があってこそ、時間があってこそ。この3つがそろってはじめて、ほんとうの意味での自由が手に入るのだと、僕は実感しています。
言い換えれば、自由とは「得られるもの」ではなく「整えるもの」でしょう。健康を整え、お金を整え、時間を整える。それが、独立後の自由の正体であり、その自由を楽しむための土台です。
そしてその土台は、いちどつくっておしまいではなく、日々の選択と行動でつくり続けるもの。 僕自身、まだまだ道の途中ですが、これからも自由を整えながら進んでいきたいと考えています。