ひとり仕事の本質を「作業」ではなく「決断」と定義して、助言と責任の境界線を明確にする。おカネより大切な「健康と時間」という決断の土台を守り、迷いを減らすための具体的な「型」について考えてみました。
ひとり仕事の本質は「作業」ではなく「決断」の連続
税務申告書の送信ボタンの上に指を置いたまま、動けない瞬間もある。税理士業界で28年やっていても、「これで本当にいいのか」という緊張は変わらない。
ひとり仕事とは、仕事の量や種類よりも、 その決断を引き受け続けること に近いのだとおもうのですね。
先に要点からいうと…
- ひとり仕事の本質は「作業の連続」ではなく、責任を伴う 決断の連続 にある
- 相談はできても責任は移転しにくい。根拠まで背負い、逃げないのが「引き受ける」こと
- 自由は「得られるもの」ではなく「整えるもの」。土台となる健康・おカネ・時間の3つが先に要る
相談しても「責任」は1ミリも移転できない
ひとり仕事といっても、相談できる相手がいないわけではありません。他の税理士や専門家に聞く、先輩や友人に聞くなど。僕自身、28年やってきて初めての規模や内容の案件にぶつかったとき、周囲の知見を頼りたいという気持ちが湧かなかったといえばウソになります。
つい、最近も、お客さまの確定申告にあたり、そんな気持ちになったばかりです。
でも、相談で助言はもらえても さいごの決断は、じぶんにしかできない。ここが、ひとり仕事を経験していない人にはわかりにくいところだとおもうのです。相談して気持ちがラクになることと、責任が軽くなることは、まったく別の話だといえます。
もちろん、相談すること自体は、むしろ大事な手段であり過程でしょう。ですが、少なくとも僕のなかでは「引き受ける」には3つの層があると考えています。
- 結論(どうするかを決める)
- 根拠(なぜそう決めたか、のロジックまで背負う)
- 逃げない(結果が違ったときにも、じぶんの判断として受け止める)
この3つをぜんぶ引き受けてはじめて「決めた」になる、ということです。つまり、結論だけ出して、根拠を人のせいにするなら、それは決めたとは言わない。 ただ選んだだけ です。
「引き受ける」とは、結論だけでなく「根拠」まで背負うこと
では、「根拠を背負う」という話を、もう少し掘り下げてみます。
僕がはじめて「引き受けた」と実感したのは、独立して間もないころのことでした。周囲に相談する先がなく、ひたすらじぶんで調べて、じぶんで出した結論を、お客さまにそのまま伝えた日のことを覚えています。
あのとき気づいたのは、他人からの助言は気持ちをラクにしてくれるけれど、 根拠を差し出す責任 はどこにも転嫁できないのだ、ということでした。
たとえば、白黒がはっきりとは割り切れない「税金の判断」をするとき。
「ネットや本にこう書いてあったから」で決めるのと、「この条文とこの通達をこう解釈すれば、このリスクは許容できる」という根拠まで背負って決めるのとでは、その後の納得感がまるで変わります。
根拠まで背負っていれば、「どこで読み違えたか」を修正できます。ですが、根拠を誰かに預けてしまうと、失敗したときに残るのは「あの紹介が悪かった」という他責だけ。これでは、いつまで経ってもじぶんの足で歩いている感覚は持ちにくくなりますよね。
「根拠まで背負う」のは、正直、緊張で喉がカラカラに渇くほどツラい作業です。が、その乾きこそが、情報の迷路から じぶんを救い出す道しるべ になりえます。
決断の土台が崩れると詰む(おカネより先に守るもの)
ひとり仕事にとって、最大の資産は「じぶん」というインフラです。このインフラが止まってしまえば、どんなに素晴らしい決断も、絵に描いた餅(未実現の利益)におわります。僕は昨年、「じぶんだけは大丈夫」という過信から、3か月もの療養を余儀なくされました。
あのとき痛感したのは、おカネは取り戻せても、 失った時間は戻らない という実感です。
確定申告を迎え、医療費の領収書を並べてみて、MacBook Proが1台買えるほどの金額にビビる… おカネそのものも痛いですが、本当にツラいのは、天井や壁を眺めるしかできなかった「去年の夏」を失ったことです。
自由とは、健康・おカネ・時間の3つがそろってはじめて行使できるものでしょう。これらは「並列」ではなく 「直列」 の関係にあるのがポイントです。つまり…
1.健康(土台)
2.おカネ(ガソリン)
3.時間(余白)
土台である健康が「0」になれば、あとの2つがどれだけあっても、自由のスイッチは入りにくい。無理をして稼ぐことが、結果として「決断の主体」を壊してしまっては本末転倒になりかねません。休むべきときに休むのは、決断し続けるための インフラ投資 なのだとおもうのですね。
自由は「得られるもの」ではなく「整えるもの」
独立さえすれば自由が手に入るかといえば、甘くないのが現実だったりします。自由とは、どこかから「得られるもの」ではなく、じぶんで 「整えるもの」 なのだと、いまは心得ています。
たとえば「いつでも休める自由」があったとしても、手元のキャッシュ(現預金)が心もとなければ、不安で休むことなんてできませんよね。あるいは、おカネはあってもカラダを壊して寝込んでいれば、それは自由ではなくただの「療養」です。
自由を整え続けるのであれば、いまのじぶんにどのパーツが欠けているのかを点検してみる時期かもしれません。この3つをどう配分して、どう守り抜くか。その決断をサボってしまうと、自由はあっという間に「忙しさ」という名の不自由に飲み込まれかねないわけで。
それでも自由でいつづけるためには、 自由を整えつづける覚悟 が要ります。ゆえに、そこから、ひとり仕事の自由ははじまるのだとおもうのです。
迷いを減らす「型」と、迷いを残す「記録」
決断は、エネルギーを激しく消耗します。だからこそ、ひとり仕事では「迷わなくていい場所」をどれだけつくれるかが重要になります。そこで提案したいのが、 「型(ルーティン)」 をつくることです。
あえてじぶんですべてをやるのなら、なおさらでしょう。手順や手段、ルールを固定して、他人との調整コストをゼロにする。「どうしようか」と悩む時間を削り、その分を「より重要な大局の決断」に充てるわけです。
いっぽうで、どうしても迷いが消えない「正解のない決断」もあります。そのときは、迷った過程をそのまま 「記録(ときには発信)」 してみます。なぜ、その結論にしたのか。どんなリスクを想定したのか。さいごに背中を押したものは何か。
こうした「決断の履歴」をカタチとして残しておく。それは単なる記録(あるいは発信)ではなく、未来のじぶんを救うための「生き様」の燃料になります。
まとめ
ひとり仕事は、仕事をしているというより「決断をし続けている」感覚に近い。誰かに相談はできても、根拠まで背負うのはじぶんだけです。
- ひとり仕事の本質は「作業」ではなく、責任を伴う決断の連続
- 「引き受ける」とは、結論だけでなく根拠まで背負い、逃げないこと
- 自由を行使するには、健康・おカネ・時間の土台をじぶんで整える必要がある
決断の履歴を積み重ねていくことは、じぶんの 「生き様」 を刻んでいくことでもあります。繰り返しですが、28年やってきても遭遇する「初見の難案件」を決めきったあとの高揚感。あるいは、体調を崩したあとに優先順位を組み直したときの静かな覚悟。
それらひとつひとつの決断が、いつかじぶんを助けてくれる、じぶん自身への信頼に変わっていく。自由とは、単に「何でもできる」ことではない。 「じぶんの人生を、じぶん事として引き受ける」 ということ。それが僕の考えです。
さいごに、じぶんに問いかけてみましょう。
「この孤独な自由を、僕は(私は)好きだといえるか?」
もし、いまはまだイエスと言い切れなくても、大丈夫。その問いを持っている時点で、あなたはもう、決断の道を歩いています。
最初の1歩
- きょうの決断を1つ選び、「結論・根拠・外れたときの手当て」をメモする
- 明日の迷いを1つ減らすための「型(ルーティン)」を1つだけ決める
- 決断の過程(なぜ迷い、どう決めたか)を、記録するか発信する
決めるのは、いつも、じぶんでありたいものです。僕も、実践を続けます。
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