「方向が大事」といわれます。それは、たしかにそうです。でも、方向を決めきってから量を出せるなら、みんなとっくにそうしているはず。方向を先に決めきれずに、手が止まっている側から書いてみます。
軸がちがうから、ケンカにならない
きょうは、発信を続けている(続けたい)税理士や士業、発信者に向けて書いてみます。
先に、本記事の要点からいうと…
- 過去記事の「量」は頻度の話、今回考える「方向」は狙いの話。軸がちがうから、対立しない
- 方向を先に決めきれなくても、量を積めば、量のほうから方向を連れてきてくれる
- 量そのもののあり方は、量を積むほどに書き換わっていく。二者択一なら、僕はいまも量を取る
発信について、じぶんのなかで、いちど立ち止まって考えたいことがありました。
「量」と「方向」の関係についてです。
発信の話をしていると、「量が大事」ともいわれるし、「方向が大事」ともいわれます。どちらも、それぞれに正論に聞こえます。
ただ、「方向が大事」のほうを素直に受け取ろうとしたときに、僕のなかで、ちょっと引っかかりが残ったのですね。
というのも、実は、僕自身も過去に書いています。「発信は、質より量」だと(発信は質より量)。量で押し通してきた側にいるじぶんが、「方向が大事」という話と、どう並ぶんだろう、と。
でも、すこし考えてみて、じぶんのなかで腑に落ちました。
過去記事の「量」は、頻度の話です。毎日書くか、週いちで書くか。そういう話。
いっぽうで、「方向が大事」という話は、狙いの話です。だれに、なにを、どう届けるか。そういう話。
「頻度」と「狙い」は、同じ話にみえて、実は別の軸です。
つまり、両者は、真正面からぶつかる話ではありません。ケンカにはならないし、両立できる。「方向が大事」の話は、僕の過去記事に「量の向き」の視点を添えてくれたようなもの、と受け取っています。
そのうえで。ここから、僕なりの続きを書いていきます。
なお、この記事でいう「量」は、単に「毎日書く」という頻度だけの話ではありません。書いて、迷って、書き直す。その試行や積み重ねも含めた話、と読んでもらえたらとおもいます。
方向を先に決めきれない、というあたりまえ
「方向が大事」の話を素直に受け取ると、こういう順番が浮かんできます。「方向を決めきってから、量を出そう」と。
もちろん、それができるなら、いちばんです。
でも、書きはじめのころから、その順番でうまく回せる人ばかりでは、たぶんない、というのが僕の実感です。
書きはじめのころも、いまも、あまり変わらない。方向にこだわりすぎると、手足が動かなくなるのですね。
「発信のテーマ、ちゃんと決めなきゃ」「読者像、はっきりさせなきゃ」「独自性、出さなきゃ」…。
こういう完璧主義に足を取られると、方向を決めきろうとするあまり、キーボードの上で指が固まってしまいます。
やっかいなのは、方向を決めきることに、完璧な正解がないことです。
正解がないから、決めきろうとするほど、決められない。決められないまま、書けない時間だけが積み上がっていく。
じゃあ、どうするか。
ここは、ある程度の見切り発車をするしかない、というのが僕の経験則です。
正直な話をすると。「方向が定まってから量を出したい」というのは、たいてい「動きたくない理由」のひとつだったりする。
そう決めきる前に、まず動く。動きながら、方向のほうを見えてこさせる。
言うほど、そううまくいかないと感じるかもしれません。でも、「量が方向を連れてきてくれた」という実感が、僕にはあります。
量が、方向を連れてきた
ここで、実体験をひとつ書いてみます。
僕はブログを、独立した年から書きはじめました。2016年からですから、今年で10年ほどになります。
書きはじめのころに扱っていたのは、「税務」でした。税金の話、経理の話、確定申告の話。税理士なのだから、税務のテーマで書くのが自然だと考えていました。
ところが、書き続けているうちに、じわじわと感じてきたことがあったのですね。
書けば書くほど、じぶんが「だれの、どんな役に立てているのか」の解像度が、逆に薄まっていく感じ、とでもいうのでしょうか。
税務は、あまりに広い。しかも、税務そのものの発信は、書店にもネットにも、たくさん揃っている。そのなかで、独立したての僕がおなじテーマで書き続けても、じぶんの立ち位置は立ち上がってきませんでした。
「このままだと、じぶんの発信の意味が薄まっていく」…この感覚が育ってきたのは、税務で書き続けた「量」があったからこそ、です。
書きはじめる前から気づけていたわけではありません。書き続けて、感じて、そのあとで、「別の方向が要る」という手ざわりが出てきた。
比喩でいうと、こういうことなのかもしれません。走る前に地図を眺めていても、道は動かない。走りはじめて、はじめて分かれ目が見える。
そこから僕は、発信のテーマを、少しずつ「銀行融資支援」の方向に寄せていきました。
いま思えば、この方向転換は、「税務で書き続けた量」の副産物だった気がしています。方向を先に決めて、それから量を積んだのではなくて。量を積んだから、方向のほうが、あとから見えてきた。
つまり、量が、方向を連れてきたのです。
量が、量そのもののあり方を書き換えた
ただ、量には、別の顔もありました。
去年、僕は体調を崩して、3か月ほど発信のすべてが止まりました。9年ほど毎日発信を続けてきた末に、です。
このあたりの話は別のところでも触れていますので深追いはしませんが、量で押し通してきたじぶんが倒れたあと、「量って、なんだったんだろう」と、じぶんが積んできた量そのものが、すこし怖くなった時期がありました。
そこから、ゆっくり見えてきたのが「持続的でありつづける」という、別の方向です。
毎日、フル出力で走りつづけるのではなくて、走りつづけられる走り方を、じぶんで設計する。じぶんに合ったペース配分をする。
そして、これも、過去の量があったからこそ、見えてきた方向でした。
9年間、量で押し通せていたら、たぶん、「持続性」という言葉には、なかなかたどりつけなかったのだとおもうのですね。倒れたあとに、はじめて、量の別の顔が見えました。
そのあと、僕はゆっくりと「相棒論」という考え方に近づいていきます。AI(相棒と呼んでいます)を横に置いて、じぶんを深めながら、発信を続けていく、というやり方です。
これも、過去の大量発信=じぶんの言葉や考えのデータ蓄積があったからこそ、たどりつけた道でした。相棒に渡せる材料が、じぶんのなかに、それなりに貯まっていたのですね。
つまり、量が、量そのもののあり方を書き換えていった。
毎日フル出力の量から、持続的に発信するための量へ。ひとりで走り抜ける量から、相棒と一緒に走る量へ。量の顔つきが、少しずつ、別のものに変わっていったわけです。
二者択一なら、僕は量を取る
「じゃあ、量はもう不要になったのか」というと、そうではありません。
過去記事の「発信は、質より量」の主張は、いまも僕のなかで生きています。
もちろん、量と方向を、両方バランスよく持てるなら、それがいちばんです。でも、二者択一で問われれば、いまでも僕は、量を取る側にいるのだと考えています。
理由は、ここまで書いてきたとおりです。
方向を決めきってから量を出せる人ばかりではありません。決めきれずに止まっているうちに、時間だけが過ぎていく。だとしたら、方向は仮置きでいい。とりあえず量を積んでみて、量のほうから方向を連れてきてもらう。
そのほうが、じぶんの手足が動くからです。
現実は、もちろんグラデーションでしょう。量と方向のバランスは、その人その人に委ねられるところがあります。
でも、「意識や実践としてどちらに寄るか」と問われれば、僕はいまも量を推します。
ただし、それは、「無理をしてでも毎日書け」という意味ではありません。いまの僕にとっての「量」は、続けられるかたちで、試行を止めないこと、です。
頻度としての量から、方向を連れてくる量へ。そして、量そのもののあり方を書き換える量へ。
量は、ただ数を積むだけの話ではありません。積み重ねていくうちに、じぶんの発信のあり方そのものを、静かに書き換えてくれるもの、でもあるのです。
まとめ
きょうは、「量と方向は、どう両立するのか」について書いてきました。
要点を、3つにまとめておきます。
- 過去記事の「量」は頻度の話、今回考える「方向」は狙いの話。軸がちがうから、両立できる
- 方向を先に決めきれなくても、量を積めば、量のほうから方向を連れてきてくれる
- 量そのもののあり方は、量を積むほどに書き換わっていく。二者択一なら、僕はいまも量を取る
最初の1歩
方向が決めきれずに止まっているなら、いまの手元にある1つのテーマで、今日ぶんだけ書き出してみる。
書きあがったものが、狙いどおりでなくてもいい。書き出したそのあとに、「あ、こっちに向かえるかもしれない」の入口が、すこしだけ見えてきたりします。
僕は、こういう「動きながら方向を見つけていく」という発信のかたちを、無料メルマガ 『発信LAB』 でも、続けて書いています。
方向が見えないうちから、動けるかたちを探す。よかったら、のぞいてみてください。

