大阪マラソンに出場するために準備を重ねてきたのですが、現地まで行ってエントリー手続きまでしたにもかかわらず、最終的には大会当日の朝に欠場を決めました。そこから得られたこととは?
2月24日はフルマラソン記念日
ブログは毎日更新をしていますが、今回はいわゆる「雑談回」です。なので、「ためになるお話を聞きたい」という方は、ここで画面を閉じていただければとおもいます。
「ならば、雑談なんて書くなよ」とおもわれるかもしれませんが。人生の教訓という意味では、お伝えする意味もあるのかなとおもい、書くことにしてみました。ブログは、他人に向けた文章であるのと同時に、じぶんにとって内省の意味合いもあるのですね。
前置きが長くなりました。内容は、大阪マラソンの欠場で得られたことについてです。大阪マラソンに出場するために準備を重ねてきたのですが、現地まで行ってエントリー手続きまでしたにもかかわらず、最終的には大会当日の朝に欠場を決めました。文字どおり、苦渋の決断です。
いやいや、知らんわ。っておもいますよね?なので雑談回なのです。それでもなお、お読みいただけるのであれば、このあとは次のようなお話をしていきます。
- 過信や甘さは消せない
- じぶんを攻めすぎない
- 次があるとおもえれば
ちなみに、今回の一件をへて僕は、大阪マラソンがあった日を「フルマラソン記念日」としました。Googleカレンダーに登録したので、僕は毎年思い出し、生涯忘れるつもりはありません。「えー、なんか怖いよぉ」とおもわれるかもですが。
そこに、ネガティブな要素はなくて。悔しさを喉元過ぎても忘れないように、そして、悔しさの先で前を向けたことを称える意味で、記念日としました。なので、この記事の着地もまた、後ろ向きなものではなく前向きなものである点はご安心ください。
過信や甘さは消せない
そもそも、なぜ欠場したんだ?ということですが。何を言っても言い訳にしかならないことはわかっていますし、細かいことを言い出したらキリがありません。なので、一言でまとめます。ずばり、体調不良です。
まぁね、人間ですから体調不良もあるでしょう。ですが、僕はふだんから健康には人一倍気を使っている自負がありますし、そのような発信もしています。にもかかわらず、体調不良で欠場とは…
なので、今回の件で得られたことの1つは「過信や甘さは消せない」ということです。人一倍気を使っている自負など自己満足にすぎず、健康に対する過信や健康に対する取り組みにも甘さがあったのだと気づかされました。
あとになっておもえば、「できることはあったよなぁ」ということでもあります。その「できること」についてはリストアップもおわりましたので、これからはその分だけ、過信や甘さを減らせるでしょう。
ただそれでも、過信や甘さを完全に消すことはできない。なぜなら、完全に消せるとおもうこと自体が過信になるからですね。それはそれとして、できることのリストアップは前向きで有意義な行為だと考えます。
できなかったことの理由探しはほどほどに、過去ではなく未来を見る姿勢は大切です。僕たちは、過去を生きるのではなく、未来を生きていくのだから。そういうことです。
じぶんを責めすぎない
ふだんから健康には人一倍気を使っている自負があった、といいました。にもかかわらず、体調不良で欠場となれば、一瞬、じぶんのことが嫌いになりかけました。自己嫌悪というやつです。が、幸いなことに「じぶんを責めすぎてはいけない」との内なる声に気づくことができました。
僕にはメモ書きをする習慣があります。ここでいうメモ書きとは、じぶんのアタマのなかにあることを、紙に文字として書き出すことです。客観視できる効果があり、悩みや迷いがあるときなどには有効な方法であることは科学的にもわかっています。
なので、今回もメモ書きをしてみました。その結果、前述の「じぶんを責めすぎてはいけない」との考えにいたったのですね。しかし、「じぶんを責めすぎない」など、単なる気休めではないのかとおもわれるかもしれません。
たしかに、気休めの一面も否定はできませんが、事実でもあります。体調不良とは、病気やケガのことであり、病気やケガに見舞われるのは「運」もあるという事実です。
よく聞くハナシですが、どんなに暴飲暴食をしていても病気にならない人がいるいっぽうで、どんなに摂生・摂食していても病気になってしまう人はいます。持って生まれた遺伝子もありますし、そのときどきの環境といった部分には、運の要素があるわけです。
だとすれば、過信や甘さを責めすぎるのもよくありません。じぶんを許す勇気。
次があるとおもえれば
それにしても悔しすぎる。悔しい、悔しい、悔しい…そんな悔しい気持ちが溢れ出てくるのはなぜなのか?そこもまたメモ書きをすることで、深堀りをしていきました。放っておくと反芻思考に陥ってしまうので、それはよろしくありません。
メモ書きをしてみてたどりついたのは、「できるはずだったのにできなかった」という思いでした。つまり、「体調不良でなければ、僕は出場できたし完走だってできたはずだ」ということであり、そこには「できる」という自己効力感があったのですね。
だとすれば、次(のチャンス)があればできるじゃないか。と、考えることができます。チャンスは今回でおしまいではありません。じぶんが望めば、チャンスはいくらでもあるのです。悔しさを解消するチャンスは、「できる」という気持ちがある限りはやってきます。
と、思いいたったときに、悔しさの反芻思考を止めることができました。僕にとっては、大きな気づきです。メモ書きをせずにいたら、反芻思考の沼にハマりっぱなしだったかもしれません。
そんなわけで、いまは「ひとりフルマラソン」を準備しています。あのときの悔しい気持ちは、近いうちに供養しようとの考えです。ちなみに、「できる」と思えるのは、日々の積み重ね(マラソンであれば、日々のトレーニング)があってこそ。その積み重ねは誇っていい。
まとめ
大阪マラソンの欠場で得られたことについてお話をしました。他人からすれば、雑談のようなものでしょうが、それでも、なんらかの教訓は含まれているものとおもいます。マラソン大会に限らず、似たような境遇に陥ったときにでも思い出していただけると、状況打開のきっかけくらいにはなるかもしれません。というわけで、本日は以上です。ご清聴ありがとうございました。