専門の中だけにいると、書ける話の幅も、社長の言葉に返せるものも、すこしずつ細くなっていくのかもしれません。最近、そう感じる場面が増えたので、ここに整理しておきたいとおもいます。
「税務だけ」で発信していたころの、限界
今回は、ひとつのテーマで書いてみます。
「専門の場所だけにいると、じぶんが痩せていくのかもしれない」という、最近の僕の実感です。
先に本記事の要点からいうと…
- 専門の中だけで仕事や発信を続けていると、言葉と感度が、すこしずつ細くなる
- 専門の外は、ただ「読む」だけでなく、「書く」場所をひとつ持っておくと、じぶんの中の輪郭が立つ
- 「いつか読もう」と寝かせている専門外の本は、おカネを寝かせているのとすこし似ている
それでは、順を追ってお話ししていきましょう。
独立してすぐのころ、僕はブログで「税務だけ」を発信していました。
顧問業がメインだったので、税務の話を書くのは、自然な選択だったとおもいます。
ただ、半年ほど書き続けたあたりで、なんとなく、書ける話の幅が細くなっていく感覚がありました。
税務は、もちろん奥深い世界です。
ただ、発信として書こうとすると、ルールや結論を正確に伝えることが中心になりやすい場面があります。
そのぶん、じぶんの言葉でどう料理するか、というところで、選択肢がすこし限られるのですね。
「これって、誰が書いても、おなじような結論にしかならないのかもな」。
そう感じる瞬間が、すこしずつ増えていきました。
そこから、「融資支援も」発信のテーマに加えていきました。
これは、税務よりも「正解がひとつではない」領域でもあります。
社長の状況、銀行との関係、タイミング、業績の動き。
変数がたくさんあるぶん、じぶんの判断や、じぶんの視点を、言葉に乗せやすい。
融資支援に発信を広げてから、書ける話の幅は、目に見えて広くなりました。
ただ、これは「融資支援が税務よりすごい」という話ではありません。
専門の中だけで発信を続けていると、言葉が回り続けてしまう、ということに気づいた、という話です。
専門書だけ読んでいたころとの違い
発信の話と、おなじ構造が、読書にもありました。
僕の読書は、長いあいだ、ビジネス書や実務書が中心でした。
読みたいから読む、というよりは、「仕事に役立つから読む」という動機が、たぶん大きかったとおもいます。
それはそれで、ちゃんと血肉にはなっていました。
ただ、すこし前から、専門書とは別の領域の本にも、手を伸ばすようになったのですね。
ずばり、小説です。
小説を読みはじめてから、変わったことがあります。
真理や心理、世の中のありように対する感度が、すこしずつ変わってきた感覚があるのです。
人が動く理由。
人の言葉の奥にあるもの。
場の空気がふっと変わる、その変わりかた。
専門書だけを読んでいたころには、輪郭がぼやけていた領域も、すこしずつ、解像度を持ってきた気がします。
これは、社長との対話にも、読者への言葉にも、判断の幅にも、けっこう効くものと考えています。
ここで、すこし税理士っぽい言いまわしをしたいのですが、興味のあるものに触れずに過ごす時間というのは、 「機会損失」 に近いのではないかとおもうのです。
おカネを寝かせておくのと、すこし似ています。
ここでいう「寝かせる」は、手元資金を厚く持つ、という話とは別ものです。
興味のあるものに触れずに置いたままにしておく、という意味での寝かせる、です。
そこにあった、ふえたかもしれない何かが、ふえないまま、消えていく。
読書も、おなじです。
専門の外にある本を、「いつか読もう」と棚に積んだまま、過ぎていく時間。
そこにあったかもしれない感度の変化が、起きないまま、流れていきます。
「読めるうちに、読む」と決めた日
ただ、ここまでの話は、たぶん多くの人がうっすら感じていることでもあるでしょう。
僕も、ずっと前から、うっすらは感じていました。
それが、「いつか」から「いま」に変わったきっかけが、ひとつあります。
去年、体調を大きく崩したことがありました。
発信もまるまる3か月休みました。
加えて、年末には緑内障の診断を受けたのですね。
診察室を出るときの、足の重さは、いまも残っています。
「読めるうちに、読みたいものを読む」。
診断のあと、すこし時間をおいてから、僕の中で言葉になったのは、これでした。
「読めるうちに」というのは、年齢のことだけを言っているのではありません。
体調のことでもあり、視力のことでもあり、生活のことでもあります。
いまの僕に読めるものを、読みたいとおもういま読む。
寝かせない。
ビジネス書や実務書だけで埋めるのは、もうやめようとおもいました。
ずっと触れてこなかった、小説の方へ、はっきり向かおうとおもったのですね。
凡人として、専門外を書く場所を持つ
小説を読みはじめたら、当然、書きたくもなりました。
これまでも、本を読んだら、なんらかの形でアウトプットしてきました。
読書記録、note、Substackなど。
形はちがっても、読みっぱなしにはしない、というのが、僕のやり方です。
だから、小説も、おなじ流れに乗せることにしました。
ただ、シリーズ名で、すこし迷い…その結果、
「凡人、小説を読む」。
ふつうに「小説の感想」として打ち出す道もありました。
でも、僕は、わざわざ「凡人」と名乗ることにしたのです。
小説読書の世界には、玄人がたくさんいます。
ジャンルの歴史を押さえている人、作家論を語れる人、構造を分析できる人。
その中に、僕は入っていけません。少なくともいまは。
そして、これから入っていく気もありません。
ほぼゼロから読みはじめた、後発の読み手です。
そのまま、書く。
玄人じみたフリは、しない。
わかったフリも、しない。
「凡人」というラベルは、その正直さを、ひとことで言いきるためのものです。
ここで、なぜ「読む」だけでなく、「書く」場所までつくったのか、というところに、すこし触れたいとおもいます。
読むだけだと、感じたことの多くは、流れていってしまうのですね。
書こうとすると、じぶんの中で曖昧だったものが、輪郭をもちはじめます。
人に説明しようとする手前で、じぶん自身に説明することになるからです。
つまり、書く場所をひとつ持っておくと、専門の外を読んだ体験が、じぶんの中に「残るかたち」に変わります。
専門の場所だけでは、じぶんが痩せる
ここまでの話を、すこし広げてみます。
「専門の場所だけにいると、じぶんが痩せていく」というのは、税理士のじぶんに対して、まず一番強く感じている実感です。
ただ、これは、税理士に限った話ではないようにもおもいます。
たとえば、社長の方々。
仕事や経営の本ばかりを追いかけていて、ふと、棚に積んだままの専門外の本に、目が止まることはないでしょうか。
すこし手に取ってみる時間が、もしかしたら、 次の経営判断の余白 を、いまよりすこし広くしてくれるかもしれません。
たとえば、税理士仲間や士業の方々。
顧問先と話していて、「ここに何か返したいんだけど、言葉が出てこないな」という瞬間があるとしたら、それは知識の問題ではなく、 感度の問題 であることも多い気がします。
専門の外を読む時間は、その感度を、すこしずつ取り戻してくれます。
たとえば、発信を続けている方々。
専門領域だけで発信を続けていると、ある時期から、おなじ言葉が回り続けている感覚に気づくときがあります。
言葉が痩せるのは、書き手のせいではなく、 触れている領域の幅 のせいである場合もあるのではないでしょうか。
専門の中での仕事は、専門の外との往復で、深まるのではないかとおもいます。
いまの僕も、できているかと問われると、まだわかりません。
小説を読みはじめたのも、ほんの最近のことです。
ただ、専門の外に、ちゃんとじぶんの置き場をつくる。
そう決めただけでも、なんとなく、息のしかたが変わったのですね。
まとめ・専門の外を、寝かせない
ここまでの要点を、もういちど整理しておきます。
- 専門の場所だけにいると、言葉と感度が、すこしずつ細くなる
- 専門の外は、読むだけでなく、書く場所をひとつ持っておくと、じぶんの中に「残るかたち」になる
- 「いつか読もう」と寝かせている専門外の本は、おカネを寝かせているのと、すこし似ている
最初の1歩
いま、棚や読書リストに「いつか読もう」と寝かせている専門外の本を、1冊だけ、手に取ってみてください。
開く必要はありません。
「これを読もう」と、ひとまず机の上に出しておくだけでも、なんとなく、空気が変わります。
そこから先のことは、また考えればいいのです。
専門の外で読んだ小説の話を、僕は、noteで小さく書きためはじめました。
「凡人、小説を読む」というシリーズです。
玄人ぶらず、わかったフリもせず、ほぼゼロから読みはじめた一人の読み手として、感じたことを置いています。
もし、「専門の外を、読み直してみたい」「読書記録のつくり方が気になる」という方がいたら、のぞいてみてください。
読書の地図を、一緒に広げていくつもりで置いてある場所です。
それともうひとつ、発信を続けたい方には、「発信LAB」というメルマガもあります。
専門の中でも外でも、 じぶんの言葉を痩せさせずに、長く続ける ためのヒントを、すこしずつお届けしています。
きっかけにしてもらえたら、うれしいです。

