続けているものには、たいてい「そのやり方を選んだ理由」があります。
ただ、それをいつ決めたのかは、覚えていないことが多いのではないでしょうか。
僕の場合は、思い出せませんでした。
「毎日書く」は、疑う対象ではなくなっていた
きょうは、何かをしばらく続けている人に向けて書いてみます。
発信でも、月次の締めでも、朝いちばんに数字を見ることでも。続いているものなら、なんでもかまいません。
先に本記事の要点からいうと…
- 続けているものには、たいてい「どうやって続けるか」の答えもある
- ただ、その答えをいつ決めたのかは、覚えていないことが多い
- 長く続いた答えは、選んだものではなく「前提」に見えてくる
僕は10年、ブログとメルマガを書いてきました。そのうちの9年ほどは、毎日でした。
「毎日書く」。これが、僕の答えだったわけです。
そして、その答えを疑ったことが、いちどもありませんでした。
続いているものには、そのやり方を選んだ理由がある
何かが続いているとき、そこには「何をするか」だけでなく、 「どうやって続けるか」の答え も、たいてい入っています。
たとえば、月次決算を毎月きちんと締めている社長がいます。
そのとき決まっているのは「月次を締める」ことだけではありません。翌月の何日までにやるのか。誰が手をつけるのか。どこまで揃ったら締めたことにするのか。
そのあたりまで、なんとなくでも決まっているはずです。決まっていなければ、たぶん続いていません。
続いているということは、その やり方を選んだ理由 が、どこかにあったということなのですね。
もちろん、惰性で続いているものもあります。やめどきを逃しているだけ、ということもあるでしょう。
ただ、何年も続いているものについては、どこかで1回、じぶんで決めているのだとおもいます。
僕の答えは「毎日書く」だった
僕の場合、その理由ははっきりしていました。
2024年の12月に、こういう記事を書いています。「発信は質より量」。
そこに、理由を3つ並べていました。
1つめは、習慣化の力。毎日やると決めてしまえば、「きょうはやめておこうか」という選択肢そのものが消えます。
2つめは、量なくして質なし。練習しないで上手くなる人はいません。
3つめは、量が次の量を生む。ブログからメルマガへ、メルマガからYouTubeへと媒体を増やすと、同じ時間で出せる量が増えていきます。
いま読み返しても、この3つは、そんなに間違っていないとおもうのです。
ただ、ひとつだけ、いま見ると引っかかるところがあります。
記事のタイトルには、こう入れていました。 「(n回目)」 と。
同じ話を、何度も書いていたのですね。
でも、いつ決めたのかは、覚えていない
ここで、じぶんに聞いてみたことがあります。
「毎日書く」と決めたのは、いつだったか。
思い出せませんでした。
独立したのが2016年で、そのころから書いてはいます。でも、ある日「よし、毎日にしよう」と決めた記憶が、どこにもないのです。
たぶん、最初は選んだはずなのですね。ほかのやり方もあったなかで、毎日を選んだ。
その選んだ瞬間のほうが、消えている。
繰り返し書いてはいたのに、決めた日は思い出せない。ここ、わりと不思議な感じがしました。
長く続いた答えは、「前提」に変わる
いま振り返ると、こういうことだったのだとおもいます。
最初は「毎日書くと決めている」でした。選択です。
それが何年も続くうちに、「ブログというのは毎日書くものだ」に変わっていた。前提のほうです。
選択なら、見直す対象になります。ほかの選択肢と並べて、いまもこれでいいかを考えられる。
でも前提は、見直しの対象になりません。空気みたいなものなので、そもそも俎上に載らないわけです。
しかも、僕は発信を仕事にしていました。
つまり、この答えを 人に向かって、何度も書いていた 。「(n回目)」というのは、そういうことです。
人に説明するたびに、じぶんのなかでも固くなっていく。発信している人は、たぶんここが一段深いのだとおもいます。
そして、2025年の5月に、僕は止まりました。
体調を崩して、ブログもメルマガもSNSも、すべての発信をいったん休止しました。そのときに出したメルマガに、こう書いています。
こうして書いていても、どこか他人事のようで、
(まさかじぶんが発信を休む日が来るとは)
まさかじぶんが。
これ、休む可能性を勘定に入れていなかった、ということですよね。
前提になっていたから、そこに「やめる」という選択肢が置かれていなかった。だから、止まったときに他人事のように見えた。
ちなみに、同じメルマガにはこうも書いていました。「正直、涙が出てきますね…悔しさで」と。
いま読み返すと、われながら、なかなかです(笑)
正しかったかどうかも、あとからしかわからない
ここが、いちばん書いておきたかったところです。
僕は、間違った答えを持っていたから変えられなかった、のではありません。
さきほどの3つの理由は、いまも間違っていないとおもいます。そして、あのときの状況や環境では、実際にうまくいっていました。少なくとも、うまくいっているように見えていた。
うまくいっているとおもっていたから、確かめる理由がなかった。
前提になった答えは、見直しの対象から外れます。それだけではなくて、 その答えがうまくいっているかどうかの判定も、いっしょに止まる のですね。
結果がよく見えているのだから、確かめる必要がない。そういう順番になります。
いまでも、あれがうまくいっていたのかどうか、僕には言い切れません。うまくいっていたのかもしれないし、気づいていなかっただけかもしれない。
わかったのは、止まってからでした。
そして正直に書いておくと、止まらなければ気づかなかったとおもいます。だから僕は、「ときどき見直しましょう」とは書けません。見直せていなかった人間なので。
まとめ|答えは持っている。決めたことを忘れている
きょうは、続けているものの「答え」について書いてきました。
要点を、3つにまとめておきます。
- 続けているものには、たいてい「どうやって続けるか」の答えがある。持っていないから困るのではなく、それをじぶんで決めたことを忘れるほうが起きやすい
- 長く続いた答えは、「選んだもの」から「前提」に変わる。前提になると、見直しの対象から外れる
- しかも、その答えがうまくいっているかどうかの判定も、いっしょに止まる
最初の1歩
- いま続けているものについて「どういうやり方で続けると決めたか」を一行だけ書いて、それを いつ決めたのか を思い出してみる
思い出せたなら、そのときと、いまの状況は同じでしょうか。思い出せなかったなら、それはもう選択ではなく、前提のほうに移っているのかもしれません。
どちらでも、かまわないとおもいます。ただ、どちらなのかを知っているかどうかで、次に変えるときの動きやすさは、だいぶ変わるのではないでしょうか。
僕は、倒れるまで気づきませんでした。なので、気づく方法があります、とは書けません。
ただ、 じぶんが何を答えにして続けてきたのか を、いちど言葉にしてみることなら、できるとおもうのです。
9月に、そのための時間を作りました。
▼ メルマガ3000号記念イベント「変えながら、続けてきた」
9月29日(火)オンライン / 9月30日(水)横浜
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正解をお話しするつもりはありません。
僕が何を答えだとおもっていたのか。それが、どこで変わったのか。
僕が話すのは、そこまでの30分だけです。
そのあとは、参加されるかたの番になります。
参加者おひとりからでも開催します。
メルマガを読んでいなくても、まったく問題ありません。

