メルマガ3000号記念イベント|9/29・30 くわしく

その答えは、いつ決めたものですか

続けているものには、たいてい「そのやり方を選んだ理由」があります。
ただ、それをいつ決めたのかは、覚えていないことが多いのではないでしょうか。
僕の場合は、思い出せませんでした。

目次

「毎日書く」は、疑う対象ではなくなっていた

きょうは、何かをしばらく続けている人に向けて書いてみます。

発信でも、月次の締めでも、朝いちばんに数字を見ることでも。続いているものなら、なんでもかまいません。

先に本記事の要点からいうと…

  • 続けているものには、たいてい「どうやって続けるか」の答えもある
  • ただ、その答えをいつ決めたのかは、覚えていないことが多い
  • 長く続いた答えは、選んだものではなく「前提」に見えてくる

僕は10年、ブログとメルマガを書いてきました。そのうちの9年ほどは、毎日でした。

「毎日書く」。これが、僕の答えだったわけです。

そして、その答えを疑ったことが、いちどもありませんでした。

続いているものには、そのやり方を選んだ理由がある

何かが続いているとき、そこには「何をするか」だけでなく、 「どうやって続けるか」の答え も、たいてい入っています。

たとえば、月次決算を毎月きちんと締めている社長がいます。

そのとき決まっているのは「月次を締める」ことだけではありません。翌月の何日までにやるのか。誰が手をつけるのか。どこまで揃ったら締めたことにするのか。

そのあたりまで、なんとなくでも決まっているはずです。決まっていなければ、たぶん続いていません。

続いているということは、その やり方を選んだ理由 が、どこかにあったということなのですね。

もちろん、惰性で続いているものもあります。やめどきを逃しているだけ、ということもあるでしょう。

ただ、何年も続いているものについては、どこかで1回、じぶんで決めているのだとおもいます。

僕の答えは「毎日書く」だった

僕の場合、その理由ははっきりしていました。

2024年の12月に、こういう記事を書いています。「発信は質より量」。

そこに、理由を3つ並べていました。

1つめは、習慣化の力。毎日やると決めてしまえば、「きょうはやめておこうか」という選択肢そのものが消えます。

2つめは、量なくして質なし。練習しないで上手くなる人はいません。

3つめは、量が次の量を生む。ブログからメルマガへ、メルマガからYouTubeへと媒体を増やすと、同じ時間で出せる量が増えていきます。

いま読み返しても、この3つは、そんなに間違っていないとおもうのです。

ただ、ひとつだけ、いま見ると引っかかるところがあります。

記事のタイトルには、こう入れていました。 「(n回目)」 と。

同じ話を、何度も書いていたのですね。

でも、いつ決めたのかは、覚えていない

ここで、じぶんに聞いてみたことがあります。

「毎日書く」と決めたのは、いつだったか。

思い出せませんでした。

独立したのが2016年で、そのころから書いてはいます。でも、ある日「よし、毎日にしよう」と決めた記憶が、どこにもないのです。

たぶん、最初は選んだはずなのですね。ほかのやり方もあったなかで、毎日を選んだ。

その選んだ瞬間のほうが、消えている。

繰り返し書いてはいたのに、決めた日は思い出せない。ここ、わりと不思議な感じがしました。

長く続いた答えは、「前提」に変わる

いま振り返ると、こういうことだったのだとおもいます。

最初は「毎日書くと決めている」でした。選択です。

それが何年も続くうちに、「ブログというのは毎日書くものだ」に変わっていた。前提のほうです。

選択なら、見直す対象になります。ほかの選択肢と並べて、いまもこれでいいかを考えられる。

でも前提は、見直しの対象になりません。空気みたいなものなので、そもそも俎上に載らないわけです。

しかも、僕は発信を仕事にしていました。

つまり、この答えを 人に向かって、何度も書いていた 。「(n回目)」というのは、そういうことです。

人に説明するたびに、じぶんのなかでも固くなっていく。発信している人は、たぶんここが一段深いのだとおもいます。

そして、2025年の5月に、僕は止まりました。

体調を崩して、ブログもメルマガもSNSも、すべての発信をいったん休止しました。そのときに出したメルマガに、こう書いています。

こうして書いていても、どこか他人事のようで、
(まさかじぶんが発信を休む日が来るとは)

まさかじぶんが。

これ、休む可能性を勘定に入れていなかった、ということですよね。

前提になっていたから、そこに「やめる」という選択肢が置かれていなかった。だから、止まったときに他人事のように見えた。

ちなみに、同じメルマガにはこうも書いていました。「正直、涙が出てきますね…悔しさで」と。

いま読み返すと、われながら、なかなかです(笑)

正しかったかどうかも、あとからしかわからない

ここが、いちばん書いておきたかったところです。

僕は、間違った答えを持っていたから変えられなかった、のではありません。

さきほどの3つの理由は、いまも間違っていないとおもいます。そして、あのときの状況や環境では、実際にうまくいっていました。少なくとも、うまくいっているように見えていた。

うまくいっているとおもっていたから、確かめる理由がなかった。

前提になった答えは、見直しの対象から外れます。それだけではなくて、 その答えがうまくいっているかどうかの判定も、いっしょに止まる のですね。

結果がよく見えているのだから、確かめる必要がない。そういう順番になります。

いまでも、あれがうまくいっていたのかどうか、僕には言い切れません。うまくいっていたのかもしれないし、気づいていなかっただけかもしれない。

わかったのは、止まってからでした。

そして正直に書いておくと、止まらなければ気づかなかったとおもいます。だから僕は、「ときどき見直しましょう」とは書けません。見直せていなかった人間なので。

まとめ|答えは持っている。決めたことを忘れている

きょうは、続けているものの「答え」について書いてきました。

要点を、3つにまとめておきます。

  • 続けているものには、たいてい「どうやって続けるか」の答えがある。持っていないから困るのではなく、それをじぶんで決めたことを忘れるほうが起きやすい
  • 長く続いた答えは、「選んだもの」から「前提」に変わる。前提になると、見直しの対象から外れる
  • しかも、その答えがうまくいっているかどうかの判定も、いっしょに止まる

最初の1歩

  • いま続けているものについて「どういうやり方で続けると決めたか」を一行だけ書いて、それを いつ決めたのか を思い出してみる

思い出せたなら、そのときと、いまの状況は同じでしょうか。思い出せなかったなら、それはもう選択ではなく、前提のほうに移っているのかもしれません。

どちらでも、かまわないとおもいます。ただ、どちらなのかを知っているかどうかで、次に変えるときの動きやすさは、だいぶ変わるのではないでしょうか。

僕は、倒れるまで気づきませんでした。なので、気づく方法があります、とは書けません。

ただ、 じぶんが何を答えにして続けてきたのか を、いちど言葉にしてみることなら、できるとおもうのです。

9月に、そのための時間を作りました。


▼ メルマガ3000号記念イベント「変えながら、続けてきた」
9月29日(火)オンライン / 9月30日(水)横浜
30分の話と、じぶんの続け方を言葉にする時間/各回5名/9,800円(税込)

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正解をお話しするつもりはありません。
僕が何を答えだとおもっていたのか。それが、どこで変わったのか。
僕が話すのは、そこまでの30分だけです。
そのあとは、参加されるかたの番になります。

参加者おひとりからでも開催します。
メルマガを読んでいなくても、まったく問題ありません。

この記事を書いた人

1975年生まれ、横浜在住。税理士、発信者、習慣家。2016年に独立以来、きょうまでブログは毎日更新中。近年は、銀行融資支援を得意な仕事にしている。借りれるうちに借りれるだけ借りよ、が口グセ
現在は1日1万歩以上、ひと月150kmほど走る。趣味は、コーヒーとサウナ、読書、散歩、アニメ。スタバでMacがマジカッコいい!と思い続けてる
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